1959年にアメリカで発明されたビデオカセット・レコーダーは、ここでは商品化されたことがなく、当時、日本のンニーと松下がアメリカ市場の90パーセントを支配していました。


何年も昔の、経済が外国との競争にほとんどさらされず、技術の変化もずっと遅かった頃・・・


主要な技術革新を経営者が無視したり改良された技術の導入がぐずぐずと遅れたりしても大した結果にならなかったのです。


しかし今は、よその国が技術競争力について非常に積極的です。


開発から素早くイノベーションや製品を汲み上げて市場支配力のある生産物を作り、次世代製品へとつなげていくことに失敗したアメリカ企業は、市場で苦しむことになるにちがいないでしょう。


国内法と監督方法も、アメリカ企業が自前の技術を創り利用する能力を削いでいます。


輸出を許可される技術についての不確かさや、遅くて煩雑で非効率的な政府の許認可慣行は、アメリカ企業と海外の子会社との間の技術移転と同様に、アメリカの財・サービスの輸出を妨げています。


東ヨーロッパ諸国に対する汎用技術の輸出許可は、アメリカ国内で4ヶ月から6ヶ月もかかります。


ドイツではそれが4ヶ月、フランスとイギリスでは2ヶ月、日本ではわずか1ヶ月です。


そういう輸出が対西側貿易国であるときですら、アメリカとドイツでは許可がおりるまで平均4週間かかるのです。


「今は濃い夜霧が、この港の町一面に立こめて居るであろう。


港の町ばかりでなく遠い遠い北海一面を立こめて居るのであろう。


そうしてその夜霧の中を航海して居る船は、灯台の光を見ようとしても霧の深い為に見えず、わずかにこの霧笛の響きをたよりにして針路を定めていることであろう。


其霧笛の響きは一寸途絶えたかと思うと又始まり、途絶えたかと思うと又はじまるのである」

・・・これは俳人、高浜虚子の『釧路港』の一節ですが、たしかにこの街に来た旅人の多くは、この.霧笛の音に旅情をかきたてられるようです。


ここの夏6月から8月に多い濃霧は、釧路沖の寒流の上にオホーツク海高気圧が張り出して来て起る、移流霧というのだそうです。


春4、5月、朝方の街を覆う霧は、内陸部の冷たい空気が温度差のある海に流れ出て起るので、この季節の濃霧は日中になると消えてしまいます。


釧路市内の平年の霧日数は116.3日で、3日に1日は霧笛の音をきくことになります。


旅人にとってロマンをさそう霧や霧笛も、ここに生活する人にとっては、洗濯物が乾かない、押入れの中がかび臭くなる、日照度が少ないので子供の発育に心配だなど、悩みが多いのです。


ここを舞台にした原田康子の『挽歌』の主人公が、左肘の関節硬直に心がむしばまれて行くのも、これと無関係ではありません。


札幌旅行もいいですが、こうした街もいいものですよ。


ゆでたまごに似ている友人がいます。


いつもふざけてゆでたまご呼ばわりしています。


その友人とフランスへ旅行したときにも、パスポートの写真がいつにも増してゆでたまご似だったので、ひとしきり笑った思い出があります。


その友人は、他の友人に「桃に似ている」と言われていました。


また食べ物?と言って本人は残念がっていましたが、わたしは「桃似」がひどく羨ましかったのです。


かわいいじゃないですか、桃は。


最高にかわいい食べ物じゃないですか。


あのうぶ毛っぽさといい、ほんのりしたピンク色といい。


可愛さ極まっています。


わたしは「普通の桃か?缶詰の桃か?」と聞きました。


すると、どっちでもアリだというのです。


なんということでしょう。


缶詰の桃の可愛さといったらないです。


あのツルツル感、とろみ感。


最高峰の可愛さです。


普通の桃も羨ましいけど、缶詰の桃にも似ているということでさらに羨ましさが増したのです。


つまりその友人はツルツルっとしているということなのです。


確かに肌はきれいですが、それだけでは桃似やたまご似とは言えません。


形も重要なのです。

第二次大戦直後の日本の産業は、石炭に依存していました。


したがって、終戦直後には石炭を中心とする傾斜生産方式がとられました。


やがて1950年代になってから、中近東を中心に莫大な埋蔵量のある石油油田がつぎつぎに発見・開発されて、石炭にまさるエネルギー源として登場しました。


日本の重化学工業は1960年すぎから、この石炭から石油へとエネルギー源を転換します。


石油のうえに立つ重化学工業、石油の豊富低廉で安定的な供給を基礎として生産性を上げることに成功しましたが、その製品は主として輸出志向という性格をもっていました。

重化学工業製品はつぎつぎに世界の市場に登場することになります。


ガット体制、あるいはIMF体制という戦後の自由な世界市場の枠組みのなかで、その便益を最大限に生かして日本の輸出が振興することになりました。


そのおかげで、1960年代の終わりには、日本の貿易黒字がだんだん大きくなったのです。エグゼクティブトレードによると、固定平価制への移行と2度にわたるオイル・ショックで、貿易の黒字基調は失われるかにみえました。


しかし、前述のような日本経済の適応力に加えて、1983年以来のアメリカ経済の回復・拡大は、再び日本の貿易黒字を拡大させ、それが日本経済のみならず、世界経済の円滑な運営の障害になってきています。


っとも、この2度目の混乱は第一次オイル・ショック直後のようなひどいものではなくて、
第一次ショックのときの経験を生かしたために、より巧みにこれを処理できました。


しかし、じつは、この成功のために1980年代に入ってから新しい問題をつくるようになりました。


貿易黒字の基調的な拡大という問題です。


さて、問題をさらに進めて、1980年代における日本経済とこれからの展望について話をしたいと思います。

1970年代から80年代のはじめにかけての時代は、高度成長のあとをうけてというか、高度成長の成功のゆえにというか、2つの大きな事件(変動相場制への移行と2度の石油危機)があって、その対応、それに対する嚢に追われた時期でした。


その中心となったのは産業構造の調整という問題です。


1960年代の高度成長は技術薯に支えられ、その技術革新は主として重厚長大な産業・技術(しばしば日本では重化学工業と呼ばれていますが)によって支えられた時代です。


そういう重厚長大の産業(具体的には鉄鋼業、造船業、化学工業、機械工業などですが)は、エネルギー源としては石油に依存するという特色をもっていました。


しかし、1978年の後半から79年にかけて、再び第二次オイル・ショックがおこり、日本の経済はもう一度混乱します。


その混乱のいちばん大きな原因が、日本の経常収支が再び赤字に転落することでした。


そこで輸出を回復させ、輸入を節約する政策がより一層強力に展開されました。


輸出の点では、エネルギーや原材料に依存しない技術集約型の商品がその中心になり、従来の鉄鋼や造船に代わってテレビ、ビデオ、コンピュータなどの情報関連電気機器が主力商品となりました。


他方、少しでも貿易赤字を縮小するため、省エネルギー、省資源の技術開発と節約運動が強力に展開されました。


それまでGNPの伸びに対するエネルギー消費弾性値は2近くであったのですが、たちまちのうちに1を切るようになりました。


1987年には0.5程度になりました。


ここでいう弾性値は、GNPの伸びに対するエネルギi消費の伸びの割合のことで、1より大きければエネルギー消費が大きく、弾力的であり、1より小さければ節約が進行していることを意味します。


こうして貿易赤字を解消しました。


日本の経常収支が本格的に黒字になったのは、じつはそれほど以前からではありません。


物価は狂乱的に高騰しました。


賃金も追随して急騰しました。


消費者物価は1973年には11.7%、1974年には24.5%も上昇し、賃金も2ケタ上昇を記録しました。


そこでまた、日本の経済はこのナイル・ショックに対応すべくいろいろな調整と対応を行ないます。


具体的には変動相場制への移行と石油価格の高騰によって赤字に転落した経常収支を均衡化させ、さらに黒字をいくぶんでもつくることに政策の重点が移るようになりました。


物価・賃金の抑制、省エネルギー・省原料の技術開発、高付加価値品の輸出の促進などによって、そのことがある程度成功するのが、1977~78年にかけてです。


最も大きなオイル・ショックを受けた日本経済が、じつは他の国よりいち早く回復をしたことはひとつの驚異でした。


インフレはいち早く高進しましたが、鎮静も最も早く見事でした。


このときのインフレ抑制がその後の日本経済の強さ(とくに国際的にみて)の基礎になったといえるでしょう。


この点の評価は日本人のあいだでも十分でないようです。


もっとも、イソフレ抑制策はいつまでも国民から歓迎されるようなものではありませんし、物価を抑えて当然という感じをもっていますが、これは大変な仕事なのです。


しかし、固定平価制の下での単なる為替の調整だけではなかなか基本的な状況は変わらず、1973年の春には固定平価制から全面的な変動相場制へと移行しました。


日本経済にとって、この固定平価制の崩壊は、自らその原因のひとつをつくり出したという一面もありますが、同時に、それにより、あとになって、日本の経済運営がたいへん大きな影響と衝撃を受ける一因にもなりました。


その変動相場制への移行があったあと、同じ年の秋に第四次中東戦争が勃発。


それが引き金となって第一次"オイル・ショック"がおこります。


それまで1バーレル当たり2ドル程度であった石油価格が、突如として4倍に高騰する状態が生じました。


それまで長いあいだ、交易条件の悪化に苦しんでいた産油国が、それを改善しようと石油価格を引き上げた心情は理解できます。


しかし、急激で大幅な引き上げは、石油消費国にとってはショックでした。


日本の経済は、そのときまでには文字どおり石油のうえに成り立つような経済構造・産業構造を確立していました。


輸出の担い手であった鉄鋼をはじめとする重化学工業のエネルギー源は主として石油であったし、国民の日常生活のエネルギー源も石油でした。


いわば"油上の楼閣"のように、第一次オイル・ショックで日本の産業は大きく揺れることになり、同時に国民生活もそれを反映して非常に不安な状況におちいることになりました。


いまでは昔語りになっている、街中から突如日用品が消えてしまうというトイレットペーパー騒動なども、そのときにおこったのです。


70年代に入ってからの日本経済にとっての環境変化は、世界的にみれば、パックス・アメリカーナの時代がだんだん薄れていくことと符合しています。


第二次大戦直後はアメリカの経済力が圧倒的でした。


そのアメリカがマーシャル・プランなどを通じてヨーロッパの復興を手助け、また、日本に対してもいろいろな経済的支援を行ないました。


こうして欧州の経済が、ついで日本の経済がめざましく成長した結果が、アメリカ経済の櫓対的な地位の後退となりました。


世界のGNPの半分以上を占めていたアメリカは、いまではその比率は4分の1程度にまで低下しました。


そして、経済力を象徴する通貨としてのドルの地位もまた揺らぐことになりました。


基軸通貨としてのドルの力が相対的に弱まり、やがて、1945~60年代を通じて確立していた固定平価制が崩れるようになってきたのです。


つまり米・欧・日など諸国間の生産性格差が縮まり、逆に国際競争力が一部で逆転してくるにしたがい、そうした変化が固定平価制ではうまく通貨に反映しなくなったということです。


1971年にはワシントンでスミソニアン会議が行なわれ、各国の固定平価の調整が行なわれました。


日本についていえば、それまでの1ドル=360円という関係が、1ドル=308円に変更されました。


経済構造の点でいえば、まず、直接的には石油の状況の変化に対応して省エネルギーが進められる。


あるいは代替エネルギの開発がされることであり、その過程で高付加価値型的な産業のウエートが高まり、他面で知識集約的な産業を中心に、サ壱ス化.ソフト化が徐々に進行していくことであります。


また、この間に、1960年代への反省として、公害防止、あるいは消費者保護への対応が進み、国民生活の質に対する関心が高まりました。


この1970年代にはじまった「調整期」を経て、80年代の半ぽころから日本経済は「新しい時代」に入ろうとしていますが、当面、私たちが最も関心をもつべきことは、対外収支の問題です。


やや極端にいえば、国際化が進む日本経済として最も優先的に取り組まなければならない問題は、世界経済にいま、いろいろな不均衡のあるなかで、国際収支の不均衡を是正することです。


そして、国内的には、これまでは経済成長の成果が必ずしも日本国民の生活の質を高めることになってこなかったという反省のうえに立って、これから対外均衡の改善と国民生活の質の向上を図るという、2つの目標が追求されなければなりません。


幸いこの2つは、いまの日本経済にとっては相矛盾する命題でなく、両立する命題です。


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