地元では、原宿のメインストリートは、けやき通りだといいます。
しかし、現実は竹下通りが取って替わっています。
ふだんでも混んでいる狭い竹下通りには、休日ともなると千葉や埼玉など近県からもローティーンが集まってきて、ラッシュアワー並みの状況となっていきます。
・・・これはどういうことでしょうか。
単に、ローティーンを満足させるショップが並んでいるだけではありません。
ここに集まってくることで、お互い確認しあい、共感しあっているのではないでしょうか。
・・・そして、ここでは年中、祭りが催されているようなものです。
モノからコト時代といわれる象徴的な現象が、この竹下通りにみられるのであって、それが巨大なパワーとなり、最先端情報としての原宿スタイルを生んでいくのです。
そして、それが全国の街へと波及していっているのです。
この原宿情報こそ、ビジネスとして見逃すことのできないものです。
スーパーの出店も、売上げが目標ではありません。
狙いは、あくまでも最先端情報をつかむことであって、次なるビジネス・チャンスを見出していくことです。
・・・こうしたことから原宿では、ファッションメーカーはもとより流通小売業などの大手企業が、競い合ってアンテナショップを出店しだしています。
ヨーロッパの都市に対して、日本の江戸時代の都市は、そうした城壁はありません。
武士だけが戦うのが日本における戦争のやり方であって、都市全体を守る必要が全然ないからです。
偉い順に危ないというのが日本の戦争の形態で、だから偉い順に守っていくということなのです。
真ん中に殿様を置いて、その周りに厚い塀をつくって石垣をつくる。
その周囲に譜代の重臣を置いて、周辺の雑兵なんかはどうでもいい。
そのまた外に町人がいて、町人たちは守っても守らなくても関係ないわけです。
戦争のときは外へ逃げていきます。
小さな防御施設を、真ん中へ行くほど厚く重ねて守るという形になるわけですね。
これは世界の都市では日本だけで、隣の韓国からして既にヨーロッパ型の城壁都市を持っているわけです。
日本の都市は、ちょっと世界的に不思議な、内に行くにしたがって厚く守られて、外はほとんどどこが都市と農村の境かわからないような構造をしていたわけですね。
具体的には、江戸と他を区別する「朱引き」という赤い線が引いてありますが、これは別に地図に引いてあるだけで、実際にはどこから江戸へ入ったかというのは、普通はだれにもわかりません。
一応税金は朱引きの中は間口税で、その外はお米で取りますから差はあるんですが、江戸に向かって歩いていくと、何となく人家が出てきて、そこからは一応都市だというくらいで、だんだん行くと都市になる・・・
非常にズルズル都市と農村がつながるような形になっていたわけです。