物価は狂乱的に高騰しました。
賃金も追随して急騰しました。
消費者物価は1973年には11.7%、1974年には24.5%も上昇し、賃金も2ケタ上昇を記録しました。
そこでまた、日本の経済はこのナイル・ショックに対応すべくいろいろな調整と対応を行ないます。
具体的には変動相場制への移行と石油価格の高騰によって赤字に転落した経常収支を均衡化させ、さらに黒字をいくぶんでもつくることに政策の重点が移るようになりました。
物価・賃金の抑制、省エネルギー・省原料の技術開発、高付加価値品の輸出の促進などによって、そのことがある程度成功するのが、1977~78年にかけてです。
最も大きなオイル・ショックを受けた日本経済が、じつは他の国よりいち早く回復をしたことはひとつの驚異でした。
インフレはいち早く高進しましたが、鎮静も最も早く見事でした。
このときのインフレ抑制がその後の日本経済の強さ(とくに国際的にみて)の基礎になったといえるでしょう。
この点の評価は日本人のあいだでも十分でないようです。
もっとも、イソフレ抑制策はいつまでも国民から歓迎されるようなものではありませんし、物価を抑えて当然という感じをもっていますが、これは大変な仕事なのです。
賃金も追随して急騰しました。
消費者物価は1973年には11.7%、1974年には24.5%も上昇し、賃金も2ケタ上昇を記録しました。
そこでまた、日本の経済はこのナイル・ショックに対応すべくいろいろな調整と対応を行ないます。
具体的には変動相場制への移行と石油価格の高騰によって赤字に転落した経常収支を均衡化させ、さらに黒字をいくぶんでもつくることに政策の重点が移るようになりました。
物価・賃金の抑制、省エネルギー・省原料の技術開発、高付加価値品の輸出の促進などによって、そのことがある程度成功するのが、1977~78年にかけてです。
最も大きなオイル・ショックを受けた日本経済が、じつは他の国よりいち早く回復をしたことはひとつの驚異でした。
インフレはいち早く高進しましたが、鎮静も最も早く見事でした。
このときのインフレ抑制がその後の日本経済の強さ(とくに国際的にみて)の基礎になったといえるでしょう。
この点の評価は日本人のあいだでも十分でないようです。
もっとも、イソフレ抑制策はいつまでも国民から歓迎されるようなものではありませんし、物価を抑えて当然という感じをもっていますが、これは大変な仕事なのです。