しかし、固定平価制の下での単なる為替の調整だけではなかなか基本的な状況は変わらず、1973年の春には固定平価制から全面的な変動相場制へと移行しました。
日本経済にとって、この固定平価制の崩壊は、自らその原因のひとつをつくり出したという一面もありますが、同時に、それにより、あとになって、日本の経済運営がたいへん大きな影響と衝撃を受ける一因にもなりました。
その変動相場制への移行があったあと、同じ年の秋に第四次中東戦争が勃発。
それが引き金となって第一次"オイル・ショック"がおこります。
それまで1バーレル当たり2ドル程度であった石油価格が、突如として4倍に高騰する状態が生じました。
それまで長いあいだ、交易条件の悪化に苦しんでいた産油国が、それを改善しようと石油価格を引き上げた心情は理解できます。
しかし、急激で大幅な引き上げは、石油消費国にとってはショックでした。
日本の経済は、そのときまでには文字どおり石油のうえに成り立つような経済構造・産業構造を確立していました。
輸出の担い手であった鉄鋼をはじめとする重化学工業のエネルギー源は主として石油であったし、国民の日常生活のエネルギー源も石油でした。
いわば"油上の楼閣"のように、第一次オイル・ショックで日本の産業は大きく揺れることになり、同時に国民生活もそれを反映して非常に不安な状況におちいることになりました。
いまでは昔語りになっている、街中から突如日用品が消えてしまうというトイレットペーパー騒動なども、そのときにおこったのです。
日本経済にとって、この固定平価制の崩壊は、自らその原因のひとつをつくり出したという一面もありますが、同時に、それにより、あとになって、日本の経済運営がたいへん大きな影響と衝撃を受ける一因にもなりました。
その変動相場制への移行があったあと、同じ年の秋に第四次中東戦争が勃発。
それが引き金となって第一次"オイル・ショック"がおこります。
それまで1バーレル当たり2ドル程度であった石油価格が、突如として4倍に高騰する状態が生じました。
それまで長いあいだ、交易条件の悪化に苦しんでいた産油国が、それを改善しようと石油価格を引き上げた心情は理解できます。
しかし、急激で大幅な引き上げは、石油消費国にとってはショックでした。
日本の経済は、そのときまでには文字どおり石油のうえに成り立つような経済構造・産業構造を確立していました。
輸出の担い手であった鉄鋼をはじめとする重化学工業のエネルギー源は主として石油であったし、国民の日常生活のエネルギー源も石油でした。
いわば"油上の楼閣"のように、第一次オイル・ショックで日本の産業は大きく揺れることになり、同時に国民生活もそれを反映して非常に不安な状況におちいることになりました。
いまでは昔語りになっている、街中から突如日用品が消えてしまうというトイレットペーパー騒動なども、そのときにおこったのです。